こんにちは、カイトです。
今回は、渡辺淳一さんの『鈍感力』を読んでみたので、その感想を中心に書いていきたいと思います。
この『鈍感力』ではとにもかくにも鈍感であることの大切さを説いています。
といっても、渡辺さんの言う「鈍感力」が誤った意味で用いられているといいます。
渡辺さんは、鈍感力という言葉を次のように定義しています。
だが、わたしが本書で述べている鈍感力とは、長い人生の途中、苦しいことや辛いこと、さらには失敗することなどいろいろある。そういう気が落ち込むときにもそのまま崩れず、また立ち上がって前へ向かって明るくすすんでいく。そういうしたたかな力を鈍感力といっているのである。
「鈍感力」pp3-4
他人に嫌味を言われたり叱られたりしようと、「はいはい」と軽く返事をして、風呂に入って、寝てしまえば次の日には忘れてしまう。そのくらい鈍感なほうが人生幸せです。
そんなことでいちいちしょげていたり、ましてやモノや他人に当たったところで何の意味も成しません。
五感だって鈍感のほうが生きやすいとも言っています。
目が良すぎたり、耳が良すぎたりするのは案外疲れるものです。
眼鏡やコンタクト、補聴器など悪い人向けの補助機器はあるのに、良すぎる人向けの補助機器は存在しません。
まさに「過ぎたるは及ばざるがごとし」とはこのことです。
味覚や嗅覚も良すぎては、匂いだけで食べられるものも減ってしまったり、ちょっとした刺激でも食べられなかったりと偏食になりがちです。
触覚に至っては、多少蚊に刺されようが、全然気にしないくらいの鈍感さがあったほうがいいです。
図に乗ることだって大切です。
たとえ才能があっても「お前は駄目だ」「お前は馬鹿だ」と毎日言われ続ければ本当にダメでバカな人間になってしまう、逆に女の子に「きれいだね」と毎日言い続ければ、本当にきれいになります。
言葉は大切です。一つの言葉が人間を生かしもし、殺しもするのです。
「鈍感力」pp94
そして言われた側は褒められ、図に乗ることでさらに成長し、才能を発揮するのです。
「図に乗る、調子のよさ」が、はしたないことではなく、その人を大きく未来へ羽搏かせるための、立派な鈍感力であることが、わかってくると思います。
「鈍感力」pp95
また嫉妬や皮肉に感謝しましょう。
嫉妬や皮肉を受けて、カッとなってはいけません。
だいたい嫉妬や中傷をする場合、するほうは、されるほうより状況が悪い人のほうが多いのです。……なぜなら、嫉妬されるのは、その人自身が優れているからで、相手はそれが羨ましくて嫉妬しているのです。
「鈍感力」pp178-179
本書を以下の言葉で絞めくくっています。
以上17章にわたって書いてきましたが、鋭いとかシャープであることだけが才能ではありません。それ以上に、些細なことで揺るがない鈍さこそ、生きていくうえで最も大切で、基本になる才能です。そしてこの鈍感力があってこそ、鈍さやナイーヴさも、本物の才能となって輝きだすのです。
「鈍感力」pp239
どうですか。皆さんは鈍感に生きることができていますか?
僕は、この鈍感力を実践することができました!
僕はコンビニでアルバイトをしているのですが、たばこの番号やレジ袋の有無が聞き取れずに、もう一度聞き返すことがちょくちょくあります。
(今の時期はコロナの影響でマスク着用だったり、透明のフィルターがあったりして聞き取りにくいです…)
その時に、人によってはイラっとして怖い口調で言い返してくるお客さんも少なからずいます。
(もちろん丁寧に返してくれる人もいっぱいいます。)
そういうこともあって、普段からいつもドキドキしながらレジをしていることが多いです。
けれどもこの本を読んで鈍感力というのを考えたとき「僕はちょっと気にすぎなのかな」と思いました。
そもそも多少は失礼なことかもしれませんが悪いことをしているわけではないですし…
そう思って、自信をもってレジの対応をして聞き取れないときは臆せずに丁寧に聞きかえすことにしました。
もちろんちょっと不満げな顔をされるお客さんもいますが、鈍感力を生かして、気にせずに笑顔で対応していきました。
そうしていくと、いつのまにか気持ちよく業務ができていてお客さんとのやり取りが楽しくなってきました。
さらに楽しくなってくると、たまに行ってくれるお客さんの「ありがとね」とか「お疲れさん」という言葉がとても気分のよいもの感じてきました。
これは本当のことです! いい循環ができました。
鈍感力、もちろんただの鈍感は無神経なだけですが、いい意味で鈍感になるというのは今日の忙しく、ドライな日本の社会を生き抜いていくのに必要な一つの武器になるのではないのかなと思いました。
2020/7/16