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映画『LAMB』を見たよ。【なかなかサイコパス。】

LAMB/ラム の映画情報 - Yahoo!映画

今回の記事では映画『LAMB』の感想を書いていきます。

なかなか衝撃の作品で簡単に感想を書くのは難しいところですが、内容面と感じたこと、思ったこと等を紹介できればと思います。

感想ありのネタバレなし!『LAMB』はどんな映画だった?

まずこの映画、“どうやら羊と人間のクローンをモチーフにした映画あるらしい”という前情報を持って僕は見に行きました。

正直これを知った時は、“なんちゅう映画だ、、、!!”となりましたが、A24が携わっていると知って納得。

それなりに期待して見に行きましたが感想は……

なんとも言えない、、!

なんというか、映画を観ている時はただひたすら頭に大きなハテナマークが浮んでました。

どうしてこのクローンは産まれたんだ、、?

なんで彼ら夫婦は平然と育てているんだ、、?

こんな疑問が沸々と湧き上がりながらも、目を覆いたくなるようなシーン(ただただ、生々しかったり、グロかったり)も多々あったりして気づいたら終わっていました。

正直、映像はかなりグロい。生命の誕生と死をモザイクなしで生々しく描いてる。

終わり方も、“……。え、終わりー!?”という感じ。

よく言えば、視聴者にさまざまな考えさせる余白を作ってくれた映画。

悪く言えばちょっと置いてきぼりにしすぎな映画。

と言った感じでしょうか。

次からは内容に大胆に踏み込んで感想を述べていくのでまだ見ていなくて興味ある方はぜひここで読むのをストップしてくださいね。

ネタバレ注意不思議な世界観。色々考えさせられた。そしてわからないことだらけ。

最大の謎。このクローン、アダはどうして産まれたのか。

アダ。左手はヒトの手ですが、右手は……。

この疑問は最後まで付き纏いました。

いつクローンが出てくるのか、どうやって出てくるのか。

初めはドキドキでした。

そもそも物語で出てくる女性と男性、どちらがDNAを分け与えるんだろう。

まさか、人間の母体から産まれるのか?

交尾はどうするのか?(交尾と言うのがいかにも動物的で、こう表現するのがすごくいやだ。)

人間と動物のinteractionは交尾というのか、SEXというのか。

僕は物語の最後を観るまで、ただひたすら人間と羊が交尾して産まれるとしか思っていませんでした。

まさか、羊人間がいたとは露も知らず。

羊人間(?) ram man

HPを見てみると、どうやら子供を亡くしていた夫婦2人にとって、アダは神からの贈り物と捉えていたようですね。

https://klockworx-v.com/lamb/

確かに冒頭で女性のマリアが“過去に戻れるなら…”と言ってますし、中盤にイングヴァルも“これは神からの贈り物なんだ”ってペートゥルに言っていましたね。

いや、羊と人間の子が生まれてるんだからもう少し驚いて!
なんか当たり前のようにその事実を受け入れないで!!

と思わず左手で突っ込みたくなるようなくらい当たり前のように家に連れて行き、育ててましたね笑

何事もないようにアダを育てているあたり、アダの誕生は2人にとって普通に想定内のことだと勘違いしていました。

だからこそ冒頭にも述べたとおり、マリアかイングヴァルのどちらかが意図的に遺伝子を組み込んだのかなと僕は思ったわけですが、、、

にしてもアダとの生活が本当に不思議すぎて、なんというか、観ていても終始フワフワしてました。

あと暗示的なのかわかりませんが、途中でペートゥルがアダに銃口を向けたシーンはなんだったんでしょうか。

次のカットで2人で寝てるシーンになったので、あれはマリアの妄想?

そして、第3章に入ってすぐのアダの墓らしきものをめぐるシーン。

ペートゥルがアダを犬と一緒に探し回るシーン。

あれはなんだったんでしょう?

空想?時間軸のずれ?

(ここら辺は後で考察動画等を観て理解はしました。やっぱりこの夫婦、狂ってる。。)

なかなか読み取りにくい描写でしたね。

そして最後に出てくる、羊人間。

彼は何者なんだ?なぜ銃を持っていたのだ?

私物?まさかアダが渡したとか……?

考察できるところ盛りだくさんでした。

とにかく頭にはてなが浮かび続けましたし、あろうことか、最後の羊人間の登場でそのはてなは肥大しました。

ここら辺はさまざまなサイトなんかを見ながら考察を深めていきたいです。

ちょっと拡大解釈してみる

この作品はなんというか、生き物の境界線、禁忌的な部分でも非常に考えさせる内容でしたね。

アダがペートゥルに差し出された草を食べてしまうシーン。

鏡に映った自分を見つめるシーン。

スポーツ観戦に興じる3人をよそに、外へ出るシーン。

言葉は喋れない(多分)けど、イングヴァルに“ラジオを消して”と言われてちゃんと消すあたり、聞き取りはできるのでしょうか。

彼は人間なのか羊なのか。

彼自身悩んだはずですし、最後に自分と同じフォルムの羊人間に出会った時は自分のアイデンティティを見つけて正直安心したと思います。

時々ドアップで写されるアダの不安そうな目。そして鏡越しに自分を見つめるシーンでアダは何を思っていたのでしょうか。

これ、LGTBQやらミックスの子らが抱える、自分らしさ、自分とはなんだろう的な、問題を拡大して投影しているようにも感じますよね。

よりグローバルで社会が様々なことに対して寛容にはなってきているとはいえ、自分のアイデンティティはなんだろうとなっている人は多いとおもいます。

性について悩む人。自分の母国について悩む人。

その究極系がアダ。自分のDNA的な根幹であるもの。自分は人間か羊か。

想像してみてください。自分が人間かどうかがわからないんですよ。見た目は、正直に言ってしまえば、人間から見たら化け物ですよ。こんな体に生まれて、自分は何者なんだろうってなって……。想像をするだけで辛いです。

また個人的に、この物語、アダを含めてほぼ4人しか登場していないという点でも珍しいなと感じました。

4人で関係してしまう世界ってなんというかさみしいですよね。

もちろん多少は外部との関係はあると思いますが、あんなに田舎の山の中で夫婦二人だけの生活。

そこに生まれた羊と人間のあいの子、アダ。

やっぱりシチュエーションが不気味すぎます、怖すぎます。

若干マリアのサイコパスを感じる部分がありましたけど、正直こんな環境にいたら気もおかしくなるのかなとか思っちゃいました。

ただでさえ、北欧は日照時間の問題で気が滅入り、鬱になる人が多いって言いますしね。
本映画でも、夜が明るいのに就寝の時間になってるシーンとかもあって、日本にはない、不思議な感じがしました。

こんな、不思議でかなりサイコパスな映画を見たいよという方、是非『LAMB』を観に行ってください!

2022/10/7

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