こんにちは、カイトです。
最近“Aマッソ”というコンビ芸人をされている、加納愛子さんが書いたエッセイ集『イルカも泳ぐわい』を読んだ。
これがすごく面白かった。さすがはお笑いを生業にしているだけあって、言い回しも面白いし、独特のものの見方というか、感性に読んで終始不思議な加納ワールドに飲み込まれてしまった。
- 「拳銃!」
- 「うちの店、潰す気かぁ!!!」
- 「必要なのは才能じゃない、練習それだけ」
あたりが個人的には面白かった。そしてたまに加納さんが暴走しすぎて世界観についていけなかったのもあったことを付け加えておく。AマッソはYouTubeチャンネルも開設されていて、面白いネタやトークが見れる。
現代には珍しい(?)、割と過激な女性コンビで合う合わないはある気がするが、バチッとはまればめちゃくちゃ面白いので合わせて観て欲しい。
ところでみなさんは芸人さんが書く本を読むことはあるだろうか?
最近は芸人さんが書いた小説やエッセイもよく本屋で見かけるような気がする。
芸人に限らずタレントや、はたまたyoutuberのエッセイ集なんかも“SNSで話題!”なんてポップ付きで店頭に並ぶ。
芸人さんに関して言うと昔から北野武さんなど、小説やエッセイなどは出されている。
ただここ数年のブームはすさまじい。(、と個人的には感じている。)
そしてこの芸人による小説やエッセイブームは、やはり第153回芥川賞を獲得した又吉直樹さんによるものが大きいだろう。
ご多分に漏れず僕も受賞作、「火花」は読んだが受賞も納得の一作だった。
純文学らしい、人間に徹底的に向き合った一作で読んでいて文章に表れる又吉さんの繊細さにも驚いた印象がある。
そしてよく人間を見ている。人間の細かな感情の変化や言語化しにくいモヤっとした感情を美しい言葉に包んでうまく表現された印象だった。
当時芥川賞を受賞された際のネット記事に、“芸人”が書いた文章なんて芥川賞にふさわしくない!という趣旨の書き込みが書かれていたことが今でも強烈に印象に残っている。
本当にそうなのだろうか。
かくいう僕もそういう意見に対して初めは「確かに…」って思う節はあった。
スポットライトにあたりながらバカなことを言い合いみなを楽しませる職業、芸人。テレビ越しとは言え、身近な存在。
一方で黙々と書き進めていく小説家。なんだか高尚でとっつきにくいような、雲の上のような存在。
一見すると真逆のようで、芸人が文章を書くなんてなんだかイメージがつかないような気さえする。
ただそこには大きな共通点がある。
どちらも“表現者”であり、“創作者”である点だ。
どちらもストーリーを作り、そこに笑いや感動、時には絶望を織り交ぜる。
この作業は想像を絶する以上に難しい。
果たして僕たち一般人は人生はどれだけ“物語”を作ってきただろうか。
言葉には情報伝達的な意味合いの無機質な記号的役割と、他人の心をも動かすハートフルな役割と二つあると僕は感じる。
そして僕たちは無意識にこれらを使い分ける。
待ち合わせの日時や場所を決めるときにも、悲しむ友人に慰めるときにも同じ“言葉”という記号を使う。
そしてハートフルな言葉を使うとき、僕たちは悩み、細心の注意を払いながら言葉を選び取っていく。
だからハートフルな言葉は個人差が出る。
しかし言葉のプロ、“表現者”が醸し出すハートフルな言葉は心に響く。
そしてその中でも芸人さん生み出す言葉は今まで組み合わせたこともないような音のつながりで不思議な感覚を与えてくれる。
読んでいていつも「こんな表現ありかよ!」とか「これは面白い!」となる。
共感するのは簡単だ、誰でもできる。
誰もが納得できる文章はそれだけ世の中の普遍的なことに対して、高い解像度で認識できている証だ。
僕自身、意識的に文章に書くようになってここのギャップにいつも悩まされる。
書きたいと思う普遍的なテーマは目の前にある。
ただそのテーマを物語にのせて、表現していくことのどれほど難しいことか……。
でも書くしかない、書くしかない。
少しずつ、美しい表現者になれるように文章を書き続けていきたい。
2022/2/6