こんにちは、カイトです。
僕の所属していた研究室が突然、無くなった。
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知らせは急だった。 卒論の提出を終えて、春休みを満喫していた3月初週。 卒論提出後から、強度を上げて勉強に取り組んでいたIELTSも、無事に受検が終わり、ひと息ついていた頃だった。
『噂には聞いているとも言いますが、諸事情により来年度からこの研究室はなくなります。 ご迷惑おかけしてすみません。』
この一通のメールが僕のメールボックスに届いた。 まさに寝耳に水な出来事だった。具体的な感情が出るより前に、『えっ』という声がつい口を衝いて出た。 後に色々と先生から事情を聞いてみると、他大学への転出が急遽決まったようで、手続きの関係上、我々学生にはぎりぎりのタイミングまで言えなかったようだ。
『急で申し訳ないのですが、色々と手続等もあるので、来週中までのどうするかを決めて連絡すること。』
そうして僕たちは急に研究室からほっぽりだされ、たった2週間で新たな進路を決めなければいけなくなったのだ。
僕たちに残された選択肢は二つ。 研究室を変えて4月から新たに研究を始めるか。 あるいは、大学の所属はそのままで、先生の転出先の大学で一緒に研究をするか。
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この話を聞いたとき、本当のことだと信じたくはなかった。 どうか趣味の悪いウソであってくれと心から願った。 僕自身、研究を本格的に始めてから約半年間、日々少しずつだが成長を感じていたし、この小さな積み上げが、今後続くであろう研究に対するモチベーションになっていた。
特に卒業論文を提出する頃には、自分が今まで行ってきた実験が研究全体においてどのような位置づけなのか、具体的なゴールは何なのか、といったところまで触れて調べ、教授や先輩にも聞きながら自分の研究の根幹をやっと具体的にわかり始めていた。
今まで行ってきた一つ一つの実験が線として結びつき始めた今、4月から本格的に研究を行っていくにあたって、自分の専門分野を勉強し直そうと3月
は意気込んでいたのである。
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だからこそ、この通達を受けたとき、怒りというよりも、悲しみと絶望を同時に享受した。
もちろん、この急な通達に怒る同期の気持ちもすごくわかる。大学という教育機関に所属して、いわば職業学校のような形で僕たちの将来にかかわる重要な”経歴”をこれから進む大学院で作っていくはずが、”大人の都合”で急に方向転換させられ、僕たちが将来設計を描いたキャンパスを一瞬でめちゃめちゃにされたわけだ。
ただ、僕にとってやっと研究内容の中に見つけたやりがいの”種”を失ってしまうことの方がよっぽどつらい。 先生について行って研究を続けるという選択肢は、正直言って現実的ではない。 物理的にその大学に通うのは遠くて無理だし、仮にそういう選択をしたところで授業に就活、そして研究とやっていく中でどれもが中途半端になる未来が見える。 必然的に他の研究室に移るのが無難な選択肢となった。
とは言っても決断までの時間はない。 決まっている事実に対して決断を遅らすのは得策でないが故、僕はすぐに切り替えて研究室を探した。 友人を頼りに、他の研究室の情報を集め、最終的に学部時代から仲良くしている友人が所属している研究室に移ることにした。
頼れる友人がいたほうが新しい環境で研究を始めるにあたってもやりやすいし、教授も面談をした時に、僕の意図を組んでくれて最大限サポートしてくれると言ってくれた。
そして今は六根清浄、新しく進むであろう道にワクワクしている。
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全部当たりのあみだくじ。
これは僕の座右の銘として大事にしている言葉の一つで、くどうれいんさんの書かれた『うたうおばけ』という作品の一節からインスピレーションを受けた言葉だ。
『つくづくわたしの人生は、行ったり来たり交差をしたりしながらも、どの線を選んでも当たりのあみだくじだと思う。』
うたうおばけ 著.くどうれいん
僕は(、というか僕に限らず誰もが)、選択の連続を繰り返して今の人生にたどり着いている。
僕も今までの人生、様々な決断をしてきた。 さながらあみだくじのようにどちらの道に進むのが『あたり』であるのかを考えてきた。 でもこの言葉が僕の考えを根本から変えてくれた。
全部当たりのあみだくじ。
人生の選択に、『あたり』も『はずれ』もない。 どの選択にも明るい未来は待っている。 僕もたくさんの足踏みしたことで結果的に得た出逢いや経験をいっぱいしていた。 あの時に『はずれ』と思った選択が、この素敵な経験をもたらしたのだ。
それから僕は選択することが怖くなくなった。 今回は半ば強制的にルートを変えられた。 大学側の移行で。 もちろんその”やり方”には少し、納得がいかないこともある。
けれどもこれもまた人生。 この”意図せぬ”方向転換が思いがけないビックチャンスをもたらしてくれるかもしれない。
数年後、この理不尽な分岐点を振り返って、『あの選択のおかげで楽しい今があるんだ!』と笑っていられるように、新たな道を突き進んでいきたい。