もともと、海外に興味があって、大学生になったらお金を貯めていろいろな国に行きたいなという漠然とした思いがあった。
そしてどうせ行くなら記憶だけでなく、記録に残る旅をしたいと思い、旅の様子をカメラに収めようと思った。
そんなわけで、軽い気持ちで一眼カメラのパンフレットを手に取ったわけだが、そこにうつっていた風景の写真の美しさに心を奪われてしまった。
「自分の手でこんな美しい写真を撮りたい!」
そういう思いから、アルバイトで稼いだわずかなお金と貯金を切り崩して、思い切って一眼ミラーレスカメラを購入した。
カメラを買う前の僕は、カメラは単に眼前に広がる光景を映し出す装置としか思っていなかった。
でも、写真で撮った光景と眼前に広がる光景はどうしても完全に一致はしない。
写真を撮っていくうちに僕はその違和感に気づき始めた。
この差を生み出すものはなんだろう。
そしていろいろ考えた末に僕が導きだした答えは、時間である。
さきほども述べた通り、そもそも僕は写真とは三次元の世界を二次元にうつすものだと思っていた。
もちろんそれは正しいことで、間違っていない。けれども足りないのだ。
写真というのは時間という絶え間ない流れをも切り取っているのだ。
僕たちはアニメーションのように一枚一枚のコマ切れの連続を過ごしているわけではない。
決められた一枚一枚のコマがあるわけではないのだから、時間の切り取り方だって自由だ。
切り取る時間によってまでも、写真にうつる景色が変わるのだ。
そしてそれに気づいたとき、僕は写真が芸術といわれる意味が何となく分かった気がした。
ただ、目の前の光景を切り取るだけならだれでもできる。
でも写真というのは、ただ目の前の光景を切り取る行為ではない。
明るさの具合、ぼかし具合、画角、距離感、シャッター速度…
こういったフィルターを通すことによって、一つの景色が様々な顔を持つ。
こういうところに写真の芸術性というか、ロマンを感じる。
そんな僕だが、カメラを買ってまだ3か月。
技術もセンスも全然ないが、自分なりに満足できる最高の写真を撮っていけるように頑張りたいな。
2020/7/26