決断のときが近づいている。
他大学の友人や、他の学部の友人が次々と配属先の研究室を決めていくなか、僕の所属している学部でも、ついに研究室の配属を決める時期がやってきた。
大学院に進学するつもりでいる僕にとっては、この決断が今後の3年間の学生生活をどういうものにするのかを決める。
そして場合によっては、その専門分野とは自分が社会から退くまでお付き合いするかもしれないと考えると、とても腰が重い。
自分の学んでいる分野に対して強い情熱を持っているわけではない僕にとって、この決断の持つ意味は大きい。
特にやりたいこともなく、何となく選んで入ったこの大学に入って3年間が経つ。
何かしら自分に合うもの、自分が情熱を注いで学び、研究したいと思える対象が見つかるとぼんやりと思いながら過ごしてきた。
このぼんやりとした日々を過ごす中で、僕は将来のことや具体的にどういう研究テーマを学びたいのかということを考えるのを諦めた。
「将来のことは、もう話すのやめよか。考えると怖いやんか。」
年始に集まった高校時代の友人との会話が頭によぎる。
歳を重ねるごとに、決断の重みは増す一方で、情報は減っていく。
今の時代、やれ転職だの、社会人のリスキリングだの叫ばれ、大人はみんな言う。
「何とかなるよ。」
まあ、実際何とかなるのだろう。
研究室選びに失敗したって、大学院試験に落ちたって、就職活動で失敗したって死ぬわけではない。
むしろ物語としては、そっちの方が面白いかもしれない。
でも、それは全て、そのどん底を乗り越えたらこそ言えることだと思う。
失敗してもそこから頑張って持ち直して、それなりな社会的地位に回復してきたからこそ言えるのだ。
「いや、俺も昔はこんなことがってさ。死ぬかと思ったよ。」
こんな話を笑い話に変えれえるうちは幸せだ。
そういう意味で、僕は失敗すること以上に、そこから立ち直れないことの方が怖い。
じゃあがんばらなくちゃ。
でも何を……?
そもそも自分は何をしたいの?
そんな曖昧な気持ちで研究室選びをしてもいいの、いわば将来を左右決断だよ?
とりあえず各研究室のホームページを巡り、何となく気になる研究室はピックアップしたものの、この何となくの感覚で一生を左右する(かもしれない)研究室を決めていいものだろうか。
こんなもやもやした思いがぐるぐると僕の頭上を回り続ける。
そして深く考えるのを辞めていた。逃げていた。
しかしもう時間はない。
1か月後には希望を出さなければいけなく、もう間もなく研究室見学も始まる。
考え方を変えよう、ふと思った。
僕はここ数ヶ月、宙ぶらりんにつるされた人形のように、自分の具体的な進路に悩み、焦っていた。
しかし、この1か月で決め切れば、良くも悪くも行く道は決まる。
レールは敷かれる、その上に沿って研究を進めていくだけだ。
もしそのレールが地獄への片道切符だったらば、どこかで車線変更をすればいい。
最悪の場合、大学院の編入とか、就職のタイミングでその縁を断ち切れるだろう。
少なくとも、自分の下した決断だからそこはつべこべ言わずある程度は頑張れるだろう。
まあ自分の成績的にすべての研究室に無条件に行けるというわけではないけど、自分の成績とも相談しながら、満足の行く研究室を探したい。
2023/1/9