こんにちは、カイトです。
院試を8月に終えて、本格的に研究を始めて早3か月が経ちました。12月中旬には、卒業発表に向けた中間発表もあります。
そんな中、この3か月で何を学び、感じたのか。そんなことを書いていきたいと思います!
メモ
最近よくラーメンを食べているのですが、せっかくなので行き場の失ったラーメンたちの写真をこの記事の合間に挟んで供養しようとも思います。
少しでも早く。少しでも多く。自分一人でできることを増やしたい。
これがこの3か月間、一番感じ続けたことです。
とにかく自分で出来ることを増やしたい。これは別に自分の研究に対して溢れ出るような向上心から生まれる思いではありません。自分の性格上の問題です。
一人で研究できない分、自分が研究をする際は基本的に先輩や同級生とスケジュールを合わせて実験をします。そうすると必然的に自分のペースで実験はできません。
この“先輩とかと合わせて実験をしなきゃいけない!”というのが案外厄介なわけです。
自分はやることはパパッと終わらせて大学を帰りたい人間です。
なので実験の合間の休憩とかはそんなにいらないですし、やることが終わったらササっと帰りたいわけです。ただ先輩は逆のタイプなので、途中でタバコ休憩とかも挟みながら緩く進んでいきます。
メモ
ちなみに自分が普段お世話になっている先輩はめちゃくちゃ面倒見が良くて優しいです。
先輩は自分の実験もあるのに、僕が”実験を一緒にお願いしたい”と言うと、いつも時間を合わせてくれて半日とか使って装置の使い方から、やっている実験の説明まで教えてくれます。
直属の先輩に関わらず、他の先輩方も普通にいい人ばかりです。
わからない部分を聞くと嫌な顔せずに親切に教えてくれますし、逆に自分が先輩になったら後輩に親切に教えてあげなきゃなという気持ちになります。
他の研究室の人の話とかを聞いていると、いやな先輩がいたりするところもあるみたいなので、そういう点に関して本当に恵まれていると感じます。
そうなるとどうしても、手持ち無沙汰の、暇な時間が増えるんですよね。自分はスマホゲームとかはやらないですし、研究室でYouTubeとかNetflixとかを観るのも少しはばかれますし…。
まあNetflixでドラマくらいは観ちゃいますけどね…笑
僕に限らずだと思いますが、僕はとにかくこういう非効率的で不毛な時間が嫌いです。
メモ
勘違いして欲しくないですが、僕はダラダラと過ごす時間が嫌いだというわけではないです。
僕はダラダラする時間は不毛な時間だと思っていません。
一日中、布団の上でダラダラと過ごすときほど至福なときはありません。
映画やドラマを見ながら過ごす生産性のない日だって好きです。
何ならダラダラと観ていたYouTube動画の中からだって、気づきがあります。
ただ、だらけるときは『明日はオフだし一日中だらけるぞー!』とか『今日は頑張ったからもうだらけるぞー!』みたいにちゃんとだらけるべくしてだらけたいんです。
だからこそ、研究中の合間にやることもないけど、とりあえずスマホを構って時間を潰している時間がすごく嫌いです。それだったらサクッと帰って家でだらけたいです。だからと言って、スキマ時間を利用して、今取り組んでるIELTSの勉強をするのも、『何勉強しているの/何のために/真面目だねえ』みたいに思われるのも面倒なのでしたくないですし…。
ということで、少しでも早く、色々なことを先輩から吸収して、自分で出来ることを増やしたいです。
シンプルに何をやっているかがわからない。
これに関しては、勉強不足だ、と言われてしまえば、ぐうの音も出ないと言いたいところですが、そうも勉強するだけで解決する問題ではないんです。
全てのものごとには、始まりと終わりがあるように、基本的に研究というものも今まで先輩たちが築いてきた土台をベースに、研究を進めていき、卒業するころには後輩たちに研究内容を託します。
理系大学生は共感してくれるはずです!
例にもれず、僕も何年も前の先輩から続けられている研究を引き継ぎながらやっているわけですが、右も左もわからない僕にとって、今は先輩に言われたことをやるだけで、全く研究全体の見通しが見えないんです。
研究背景と今まで過去の先輩たちが行ってきた実験に関しては、自分の実験を重ねるうちに『だからこういう実験していたのね』みたいな感じで、少しずつ理解でき始めています。
先日も卒論を書くうえで研究の背景を書かなければいけないのですが、改めて先輩が僕の実験の背景を説明してくれました。同じような内容を3か月ほど前にも聞いていましたが、全然違う話のように思えました。自分がどこが理解していないかもわかりましたし、質問すれば“ああなるほど”と腑に落ちることも多かったです。
一方で個人的に研究のゴールに関しては、全く見えないなというふうに感じています。
メモ
もちろん、研究の大まかなゴールはわかります。
自分の研究で言えば、『高周波で大電力を実現できる整流器を作るんだ(もう少し、解像度を下げてアバウトに言うならば、クルマとかの電力を大量に消費するようなデバイスにも使えるような素子を実現する)』というのが大まかなゴールです。
でもこれくらいの抽象度のゴールって全然学術的じゃないし、どちらかと言えば、大学紹介とか研究室紹介でその分野の素人にもわかるようなレベル感の情報量しか含んでいません。
そしてよくないことに研究を進めている自分自身、研究に対して実はこれくらいの解像度でしか理解できていません。
だから、先輩に言われてやっている実験がこの後どのような形でゴールに向かっていくのかの道筋が具体的にイメージできませんし、なによりこの実験が終わったら次に何をやればいいのかが全く分かんないんですよね。
ただ当たり前ですが先輩が卒業したら、基本的に自分で次に何を実験するのかを意図をもって行わなければいけません。
これが結構まずいことで、直属の先輩は今M2でもう後数ヶ月で卒業です。先輩が卒業するまでに自分で一つ一つの実験をゴールまで因果関係で結ばれた線にしていけるのかが不安でなりません。
ただ、こういった自分の研究に対する構造的な理解は時間をかけて実際の実験を介してじゃないと得られませんが、もっとミクロなレベルの、それぞれの実験で出てくる一つ一つの結果を理解するためには、根源的な電気に関する知識が必要です。
そしてこれに関しては、自分で教科書を読んだりすることで十分会得できる知識です。
参考
自分の例で言えば、
半導体全般の知識/Sparaに関する理解/電気回路の理解(直流交流らへん)/高周波に関する知識
とかですね。
ここら辺に関しては、現実から目を背けることなく愚直に取り組みたいです。
メモ
ただこれはこれで結構しんどいんですよね…。
とにかくわからないことだらけで、どこからやればいいのかわかりません。
そして勉強してわからない部分にフォーカスして色々調べていると、その中にもわからない部分が出てきます。その無限の繰り返しで、点在するわからない部分を体系的に理解して、一つの心理に収斂しようとするどころか、どんどんと広がっていきもうわからないことだらけで手が付けられない状態になります…。
正直実験をするたびに、“なぜこれするのか”とか“この操作の意味は?”とか考え出して、きりがない状態ではありますが…。
とりあえず一つずつ穴を潰すしかありません。頑張ります。
わりと日々メンタル面での変動が大きい。
これも日々研究をしていく上で、大きな悩みです。
とにかく日々メンタル面での上がり下がりが大きいです。
前述の通り、明確でわかりやすいゴールがないという不透明さからくる不安もありますが、シンプルに日々の実験の出来や進捗具合で気持ちの変動が大きいです。
新しい実験を始めるたびに、初めは何をすればわかりません。
メモ
無駄な日も多いです。
何をやっているのかわからないまま、実験を進めてもエラーが出たり、リーズナブルな実験結果が出ないときもあります。
先輩は優しくて聞いたらなんでも答えてくれますが、さすがにわからないことを全部聞くのは膨大過ぎて時間も取るので申し訳なくて、いつも部分的にしかわからないことを聞けません。
そして曖昧なまましていた実験を終えたら、全く無意味な実験をしていた、なんてことはざらにあります。
もちろん失敗から得る学びも多いですが、そうやって無駄に過ごした日は何回もあります。
そんな日は、帰り道に“今日何やってたんだか…。一日無駄にしちゃったなあ。”なんてまたメンタルダウンしがちです。
そんな中実験をくり返し、やっと実験の意味や何をすればいいのかがわかってきます。そうなると安心感からメンタルは安定して、”実験を頑張るぞ!”という気持ちになります。
ただその実験を終えると、皮肉なことにまた不安が生まれます。“次は何をすればいいのだろう”とか“また最初はつまずくのかな”とかそういった不安が生じてくるわけです。
色々実験をして、自分はある程度具体化されたゴールに向かった勉強はすごく好きだしモチベーション高く取り組めるなということに気づきました。
メモ
自分は語学学習が好きで、英語以外にも色々とスキマ時間に取り組んでいるわけですが、『その言語を話せるようになりたい!』という抽象的ですが明確なゴールがあるから頑張れるわけです。
もちろんゴールが抽象的だからこそ、色々な形の実現の仕方(○○検定を取る/日常会話を極めるetc)があるわけで、そのゴールへ向けた道筋も無限通りあります。だからこそその過程を楽しみながら勉強できるわけです。
受験勉強や資格試験なんかも、『合格か不合格か』という線引きがある以上、具体的かつプレッシャーのかかるゴールですが、勉強そのものは楽しんで出来ていました。
将来の仕事を考えるうえで、こういった自分の特性にあった仕事ができると一番理想だなというように最近感じます。
ただこの点に関しては、自分の研究に対する理解が深まって僕にとって研究のゴールが明確になってくれば、楽しい取り組みになるという希望的観測もあります。
今は苦しさに耐えつつ、いつか自分の研究を心から楽しめるようになりたいです。
まとめ。
ということでこの記事では、研究し始めの、いわば大学院見習い生の心の叫びを書いてみました。
愚痴が多くなりましたが、今の環境には恵まれていますし、僕自身もっともっと研究を好きになるポテンシャル自体はあると思っています。
何よりこれくらい甘っちょい考えの自分にとって、社会に出る時間をオフィシャルに2年遅らすことが出来るこの選択に後悔はないです。サポートしてくれている家族や周りの方々にももちろん感謝です。
まずは学部4年の卒業に向けて、卒業研究と卒業論文に全力で取り組みたいです。